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日本の長い歴史の中で数多くの偉人達が活躍してきましたし、数多くの表彰をされたのではないでしょうか。

しかし、そんな歴史の中で動物にも与えれ、尚且つあの但馬牛もそうでした。

今回は、そんな但馬牛の歴史の小話にお付き合いしていただければと思います。




サー・ロインの称号を与えられた牛はイギリスだけではない!日本でも?

イギリスには、その肉があまりにも美味だっため「サー・ロイン」の称号を贈られた牛がいた。17世紀初めの、ジェイムズ1世の御代のことで、ロインとは牛の腰あたりの肉のことをいい、王はそれを「ロイン候」と称賛したのである。

このエピソードには、いまひとつおまけがあって、その後、ステーキを2つ切りにしたものを「バロネット」と呼ぶようになったが、サー・ロインにひっかけたしゃれで、バロネット、つまり「準男爵」というわけである。

日本にも似たような牛の出世物語があり、こちらの主人公は、かの但馬牛(松坂牛・近江牛・神戸牛の素牛)。

といっても、昨今のように国際的にも有名になるまでは、地方の家畜市などでは「ただしウマウシとは何のこっちゃ」といぶかる向きも少なくなかったとか。

で、話は太閤豊臣秀吉の天下。天正11年(1583年)11月に大阪城の築城工事が始まると、秀吉は、全国30余ヵ国に号令して各地の牛を徴発(強制的に取り立てること)した。

何しろ、本丸、二の丸、三の丸の石垣の長さだけでも三里八丁という空前の大工事とあって、1日あたりの工事人の数だけでも3万人から4万人。竣工間近には10万人に上ることも珍しくなかった。




なかでも難行苦行を極めたのが天文学的量の石運び。当時、この工事を目撃したポルトガルの宣教師フロイスなども、驚きをもって本国にこう書き送ったほどだった。

「堺の港ひとつだけでも、毎日200艘(舟の総称)の石を積んだ船が出入りし、われらのいる家からは、時に千艘もの石積み船が見られることもまれではなかった。

しかも、その1石さえも、自らの首を失う覚悟がなくては、置き場や数など、片時もゆるがせにできないありさまだった」

石は陸揚げされたあと、牛たちによって工事の現場まで運ばれた。それらの石がどれほどの量にのぼったか、いまから想像しても気の遠くなるような話である。

この牛たちの働きをつぶさに眺めていた秀吉は、さすがに感ずるところあってか、大阪城が成るや「牛は国の宝、耕作の長たり、春の耕耘(こううん)によって、秋の果実を得ることが出来る。

牛の功績は測り知ることができない。よって、牛を庶民の宝となす」と宣言、なかでも但馬牛は役牛として最もすぐれているとして「一日士分」を与えたという。

いまなら「1日村長」とか「1日駅長」とでもいったところだろうが、それにしても牛たちがモーけっこうといわなかったかどうか・・・。