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すき焼きというのはどういった経緯で作られてきたのかご存じでしょうか。

何気なく食べている一つ一つの料理やメニューには歴史やドラマが様々です。

そのうち一つにも「スキヤキ」があります。この「スキヤキ」についてご紹介していきます。




すき焼きのルーツとは?薄い肉に歴史の神秘が香る?

すき焼きというのは、肉を薄くすくからだという説がある。珍説のたぐいで、いまのように肉を薄く切る技術が未熟だった時代には、肉はぶつ切りにしたり、サイコロ状や短冊型に切っていた。

すき焼きは、正しくは鋤焼きと書き、ポルトガルやスペインなどの南蛮人が渡来した室町末期(およそ400年以上前)から江戸時代にかけて、野外で獲ったイノシシやシカ、ウサギやトリなどを中国伝来の「唐鋤(からすき)」の上で焼いて食べたもので、江戸時代初期の「大草料理集」や「料理談合集」、「鯨肉調味方」(小山田与清著)などの諸本にはっきりと記されている。

いってみれば、当節のバーベキューや韓国焼き肉の日本版で、それに牛肉が仲間入りしたのは明らかに南蛮人の影響とみられる。

それらの肉を、刃の間にすきまのある鋤(すき)の上で焼いたというのもいまどきのバーベキューそっくりなら、野獣肉のくさみをとるため、酒や味噌、醤油などで作ったたまりにつけておいてから焼くという調味法も朝鮮焼肉そっくり。

だから、肉を薄くそいだものでは、すぐに焦げ付いててこずることは疑う余地がない。

南蛮人が渡来により、当時の日本人は、彼らが大っぴらに牛肉(ポルトガル語でわかといった)を口にするのに一驚した。が、やがて自分たちもそれを見習い、当時南蛮焼きと呼ばれた牛や豚の焼肉を鋤の上で試みるところまでに発展した。




牛肉の鋤焼きは、その後のキリシタン禁制で大っぴらにはやれなくなったが、野外など一目につかないところではこっそり試みられた。

というわけで、ここまではともかく、徳川260年の幕が降りた後文明開化の牛肉大っぴらの世となり、関東では牛鍋が流行語になったのに、関西では何故すき焼きの呼び名生き残ったのか、明治以降のそれは、疑う余地なく鍋ものなのにである。