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【焼肉料理】が生まれた【真実】とは?牛肉の歴史探訪に迫る!

約 7 分
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焼肉料理というものは日本古来からあったものではありません。

突然ではありますが、ご存じでしょうか?

焼肉料理は、朝鮮半島から伝わったものである。ということは、知っているかたは多いのではないでしょうか。むしろ韓国へいったらおいしいカルビがあるなんてことは思ったりしているのではないでしょうか。

このような事は、知られていたとしても「焼肉料理」のルーツを知らない方はいるのではないかと思います。

今回は、何故「焼肉料理」がうまれたのかその歴史的探訪をしていきたいと思います。

「焼肉料理」は、私たちの身近な存在ではあります。私が住む北陸には、焼肉店の数が多く、いや増して寿司屋が非常に多く、並んでまっているお客様が多数見受けられます。

個人的には、何故日本人は、魚をよく食べるのだろうか。肉より魚なのか?と思う事があります。

焼肉料理のルーツは朝鮮半島にあり!朝鮮半島の歴史を垣間見る!!

原因を知るためには食文化を知り、食文化を知るためには歴史を知る必要があるのではないでしょうか。焼肉産業の発展は、戦後から急成長していくなかで、その肉の栄養価の高さから日本人の寿命も伸びていることから密接な関係があるとされています。

現在では、モノが豊かになり、健康的な生活していくうえで魚と肉をつかったバランスのとれた食生活が求められています。
「いつまでも元気でいたい!」とは、誰しもが思う事ではないでしょうか。

今の食文化があるのは、過去の賢人たちが試行錯誤をして成り立っています。過去を知り、今を生き、未来へと続けていくためにも必要であると思います。




焼肉の歴史とは

「焼肉料理」は朝鮮半島にあったもので、この料理法を「生活文化」として身につけた人たちが、日本ではじめた「商い」によって外食産業への道筋をつくったものです。

焼肉料理の歴史には仏教による殺生禁止が関わっていた!

何故朝鮮半島にあって日本にはなかったのか。

焼肉料理のルーツは、遠く中央アジアの遊牧肉食民族にあります。彼らは動物肉を直火で焼いて食べていました。この方法が朝鮮半島に伝わり根をおろすのは、13世紀後半ごろからです。

それ以前の古代、朝鮮半島には高句麗、百済、新羅の3国がありました。人々の生活の中で畜肉は貴重なモノであり、自由に食べられていました。

そこに中国から仏教が伝わってくる。372年、高句麗が仏教国家になったのをはじめ、384年には百済が、そして1世紀半ほど遅れて528年に新羅が仏教を国教と定めたことにより、朝鮮半島全体が仏教の戒律に従う生活を営むにいたります。

その戒律の一つ、「殺生の禁止」は家畜の食用を禁じたものであった。魚さえとることができず、漁網を焼きすてることも行われた。もともと肉食をしていた地域であっただけに、肉食嗜好を封じ込めるのは容易ではなく、戒律の徹底には曲折があったことは、いく度も「肉食禁止」の令を発していることからうかがえる。

食肉禁止を旨とし、植物性の食材を利用する「精進料理」的な生活は、統一国家の高句麗になってからも、700年もの間続くことになる。

ちなみに日本が仏教国家となり、「殺生禁止」になるのは天武4年(675年)のことで、この戒律は明治の初めまで守られ、肉食はできなかった。

蒙古による牧場開発

やがて、朝鮮半島の食生活に変化がおきる。それは、大陸から侵入してきた遊牧民族「蒙古」であった。北方の草原国家は、山野と海と自然のある朝鮮半島への南進を狙い侵入を企て、蒙古と高句麗の戦いは、いく度なく繰り返される。この戦いは、バイタリティーにあふれる肉食民族と農耕定住型の精進料理的な生活をしていた民族の戦いでもあったと言えます。

その勝敗の帰趨(きすう)は、食生活の差が大きく影響したとみてよいだろう。1259年、ついに高麗は蒙古の軍門にくだり、以後、朝鮮半島は遊牧民族の生活文化の影響を受けることになります。

蒙古は支配した高麗の主要地に屯田兵(とんでんへい)を配置し、兵士たちに必要な食料源として牛を徴発しようとした。しかし、高麗には十分な家畜がいなかったので、蒙古は牧場開発に乗り出します。

1276年、南の済州島に牧場を開いたことが記録されているが、温暖な気候と家畜を襲う猛獣がいない済州島がもっとも適していたからです。ここ以外にも屯田兵の駐留する地域周辺には、多くの牧場が設けられていった。

肉料理の発展

生産された家畜は、肉食民族のもつ優れた加工法、料理法によって食用とされていきます。高麗の人の仏教信仰には変わりはありませんでしたが、食生活の面では戒律が守らなくなっていきます。

今日の朝鮮半島の食肉文化は、この時代を一つの節目として肉料理発展へと方向転換していきます。こうして14世紀の高麗時代に、肉食は「復活」することになったと言えます。

高麗の都だった開城(ケソン・現在は北朝鮮)でよく知られた肉料理が文献に登場します。雪夜炙(ソリヤジョッ)、雪下炙(ソリハジョッ)などとよばれる焼肉料理である。都のエリートたちが食べていた料理で、今日の焼肉そのものになります。

「雪夜炙」は開城府(高麗の都)に昔から伝わる名物料理。作り方は、あばら肉か心臓を油とくん菜(ネギ類)で調味して焼き、半分ほど焼けたところで冷水にしばらくつけ、炭火の強火でもう一度焼けばできあがりで、雪の降る夜の酒の肴によいとされています。肉がとてもやわらかく「美味である」(「海東竹枝」1925年)。

儒教による食文化の開花

その後、時代がかわり、14世紀には高麗政府は倒れ、朝鮮時代となります。朝鮮の政策は、仏教を排して儒教を国教とした。これを『祟儒排仏』とよびます。

これによって名実ともにタブーとされていた肉や魚の料理が、本格的に復活することになります。タブーどころか、儒教の礼俗によるさまざまな通過儀礼が生活のなかで重きをなしはじめたことに対応していくのです。

冠婚葬祭など、人が多く集まるときの飲食は、儒教の習俗のなかでも、とりわけ大切なもので、親族はもちろんのこと、近所の人たちの共同作業が欠かせないものでした。

それゆえ、酒、餅、麺、キムチ、そして肉か魚の料理技術などが、このような場を介して発展していきます。これらの料理法は、身につけなければならない「生活文化」そのものだったのです。

以来、長く育まれた食文化が日本にもたらされるのは20世紀のことで、日本による朝鮮戦争後の結果ではないでしょうか。

また、在日朝鮮・韓国の人たちが生きる糧として「商い」をはじめたのが、身につけていた「生活料理」の「食堂」でした。




まとめ

私がいる自社においては、昨年(2016年)で100年の時を迎えました。

この創業時は大正5年ではありますが、初代の社長が家畜から販売へと転換したときは内臓類はほとんど捨てられていました。そのようなときに在日韓国人の方々は仕事に困っているときに初代の社長が捨てていた内臓類を在日韓国人に方々にわけていたそうです。

それを利用して地域で「食堂(飲食)」をはじめ生活苦から抜け出したそうです。

これがのちに「ホルモン屋」として発展したそうです。(私いる地域で)

この発展の裏には、互いに理解し合いながら知恵を出し合い良き関係が続いたそうです。

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