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井伊直弼の命を奪ったのは近江牛??食べ物の怨みとは!?

約 3 分
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桜田門外の変といえば井伊直弼が”ピン”とくるのではないでしょうか。

実は、この桜田門外においても牛肉が関わっていることがあります。今回は、井伊直弼にまつわる怖いお話をご紹介していきます。

食べ物の怨みとは非常に怖いと感じられずにいられない、本当に怖いお話です。




実に恐ろしい食べ物の怨み 井伊直弼の命を奪った牛肉とは?

大老井伊直弼は文化12年(1815年)に彦根藩井直中の14男として生まれました。

14男という身であっただけに長部屋住み時代を過ごし、肩が狭いものであっただろうと思いますが、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた屋敷で禅、国学、和歌、茶道などの素養を積んでいました。

出世の望みもない身の上にもかかわらず、学問に励んだことが後世の活躍の基礎となったのです。

兄たちの死により25歳で偶然家を継いだ直弼は、藩政に非凡な才能を発揮し、さらに開国、安政の大獄などを実施し、水戸浪士らによる桜田門外の変に散るまで、幕府の要職を担いました。

さて、その桜田門外の変が実は牛肉がからんでいたという説があって、広く信じられています。

徳川斉昭(水戸藩主、教鞭な攘夷論者)は大変な牛肉好きだったが、井伊直弼が彦根牛の献物をにべもなく断ったのが事件のそもそもの発端だといいます。

森銑三(もりせんぞう、1895年~1985年、歴史、書誌学者)の「人物逸話辞典」には梁川星巌(やながわせいがん、1789年~1858年、詩人)の話として、次のように伝わります。

斉昭公は牛肉が好きだったので、年々寒中には彦根から献ずることだったが、直弼が家督を継いでからは、これを献上しなかった。

直弼は一時仏門に入り、禅学を修めていたので、国中の牛を殺すことを禁じたのです。

斉昭公はこれを知らず、自分の方から催促したところが、「今年より牛を殺すことを禁じました」という断りが来たとのこと。

斉昭公はそれでもあきらめず、「手前のためになんとかして貰われまいか」と頼んだが、「国禁につき、何ともいたしかねまする」という、残念な返事でした。




このようなことから、斉昭公は直弼の家督の初めから、その人に不快を抱くようになったのです。

なんとも恐ろしい話ではありますが、この斉昭公がこよなく好きだった牛肉は現在の近江牛にいたります。

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