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米沢牛に惚れた雇われ外人?銘柄牛の誉れは明治から

米沢牛を知っている方は、かなり多いのではないでしょうか。

今回は、米沢牛が有名になった理由を歴史的観点からさぐっていきます。

米沢牛が有名になったのは何故?そのカギを握る外国人とは?

米沢牛と言えば、いまや松坂牛や神戸牛と並ぶ人気ブランド!その米沢牛を全国的に有名にしたのが、明治のお雇いである外人教師のチャールズ・ヘンリー・ダラスでした。

米沢藩は、明治の際、幕府に加担して官軍に抵抗したため維新後、中央政権から大きく立ち遅れていましたが、米沢藩最後の藩主上杉茂憲(うえすぎ もちのり)は、廃藩置県によって米沢県知事となるや、その遅れを取り戻すべく、西洋文明を積極的に取り入れるための「洋学舎」の創設を試みました。

そのような中で、雇われたのがチャールズ・ヘンリー・ダラスなど3名のイギリス人で、ダラスは明治4年から8年まで米沢に滞在し、英語以外にも、フランス語、数学、経済、地理を教えるかたわら、サッカーや陸上競技などの紹介したといわれます。

そのダラスが、米沢を去るに当たって残したのが東北地方では最初といわれる牛肉屋で、彼は、自分の使っていたコックに資金を与え、この地方では文字通りの元祖「牛万」を開かせました。

それといまひとつ、米沢在中に食べた米沢牛の味が忘れることができなかった彼は、横浜へ旅立つ際、土産として米沢牛一頭を連れて帰った。それを仲間や友人に振舞ったのが大好評。

そこで、横浜の牛肉卸と米沢の飼育農家との間を取り持ち、それがきっかけで米沢牛の名前が全国的に広まったという。




米沢牛のそもそもとは?

「南部の牛追い唄」で知られる岩手県から、2~3歳のうちに「上り牛」として搬入され、農耕や運搬採肥などの目的で飼育されていたのが大本になります。そのほかにも、この地では古くから黒毛和牛が多く飼われていたとの記録もありますが、そのルーツは定かではありません。

確かなのは、明治の半ば以降、米沢牛の世界にも文明開花が起こり、生体のより大型化を目指して西洋種との交配が行われるようになったことなど。また、中でも最も成果を上げたのが、英国北東海岸原産のショートホーンとの交配種でした。

昭和初期の中央畜産会発行の資料によると「この地方で長期の肥育をうけたものなら、かならず霜降りがあり、肉目も細かく、脂肪も白く、和牛に決してひけをとらない」とあり、このころすでに定評を得ていました。

米沢盆地は牧牛地としての風土に恵まれ、適度な寒暖の差が質のよい脂肪をつくるといわれています。

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